

「なぜ富山なんですか?」
新しい人に会うたび、必ず聞かれる質問です。さらに、妻の出身が福島県だと話すと、より不思議そうな顔をされます。では、なぜ富山を選んだのか。日本には数えきれないほどの街がある中で、なぜここだったのでしょうか。
私たちが本格的に移住を決めたのは、2025年5月のことでした。オンラインで移民専門のコンサルタントに相談したところ、妻が日本人の子として生まれていることから、現在はアメリカ国籍であっても比較的スムーズに在留資格を取得できることが分かりました。就労制限もなく、更新は必要ですが、日本で自由に生活できる環境が整うという点は大きな安心材料でした。
その後、数か月にわたり、インターネットやAIも活用しながら、自分たちに合う場所を徹底的に調べました。最終的に候補に残ったのは、富山、沼津、函館の三つでした。息子たちが東京から気軽に遊びに来られる距離であることは重要な条件でした。函館はとても魅力的な街でしたが、観光色がやや強く、また外国人の多い街に住むことは今回は希望していませんでした。沼津については、妻が大きな地震のリスクを気にしたため、候補から外れました。そうして残ったのが富山でしたが、今ではこの選択に心から満足しています。
必要最低限の荷物をまとめ、レコードコレクションなど一部の荷物は船便で送り、2025年10月初めに日本へ移住しました。実際に暮らし始めて驚いたのは、「住所がないと何もできない」という日本の仕組みです。到着後すぐに車を購入しましたが、住所が確定しないと登録もナンバープレートも受け取れません。携帯電話の契約や銀行口座の開設も同様でした。外国人である私たちが住まいを見つけるのは想像以上に難しく、十分な資産があることを証明しても、保証人や大家さんの壁は高いものでした。約2週間、正直かなり途方に暮れました。
そんな中で出会った不動産会社の担当者は、私たちの状況をきちんと理解し、受け入れてくれる物件を粘り強く探してくれました。こうして現在は天正寺に暮らしています。生活の利便性も高く、とても気に入っています。家具も何もない状態からのスタートだったので、ニトリやムサシホームセンターには何度も通いました。スーパーも充実していて、特にアルビスはお気に入りです。近所の喫茶店「メロディ」も、行くたびに心が温かくなる大切な場所になりました。特別扱いされることもなく、ただの「ご近所さん」として受け入れてもらえている感覚があります。この何気ない連帯感こそが、私が日本で一番好きな部分です。誰も構えず、ただ自然に迎えてくれるのです。
富山に来て間もない頃、市役所の職員の方々が一日かけて街を案内してくれました。その丁寧で温かい対応に、「ここで間違いなかった」と強く感じました。案内してくれた方の一人とは、その後コーヒーをご一緒するような関係にもなりました。また、モンベル立山店に立ち寄った際、同年代のスタッフの方と話す機会がありました。日本各地を旅した経験を持つその方が、「最終的に富山に住むことを決めた」と話してくれたことは、とても印象に残っています。コンパクトで暮らしやすい街だという言葉に、大きくうなずきました。
富山に来てすぐ、海王丸パークを訪れた日のことも忘れられません。海沿いへと続く階段を上った瞬間、遠くにそびえる立山連峰の姿が目に飛び込んできました。その圧倒的な美しさに、思わず立ち尽くしました。私は妻に向かって両手を広げ、「ここだよ」と伝えたくなるような気持ちでした。心から幸せだと感じた瞬間です。
最近では尺八と日本語のレッスンを始めました。尺八の先生や一緒に学ぶ仲間たちはとても温かく、先生が私の敬愛する山本邦山の直弟子であると知ったときは、本当に驚きました。現在はパートタイムの仕事も探しながら、新しい生活を少しずつ築いています。
人生のどの段階であっても、ましてや五十代で一から始めることを選ぶ人は多くないかもしれません。それでも私たちは、この場所で挑戦し、順応し、前に進んでいます。そして日々、富山という街が私たちにとって正しい選択だったことを実感しています。
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DAVID HULL
30年以上にわたり包装機械の営業に携わってきました。昨年、結婚30年になる妻と共に日本での新しい生活を始めるため、アメリカ(ニュージャージー州)から富山市へ移住しました。
現在は尺八の練習や日本語の勉強、昭和歌謡や日本のジャズ・フュージョンを聴くことを楽しんでいます。夫婦で小さな旅に出かけ、日本の歴史や自然に触れるのが好きです。